絵はがきに見る阿波踊りの風俗 

 古い観光絵はがきは、近代〜戦前にかけての風俗・民俗を知るよい手がかりになります。
私も、気をつけて徳島関係の古い絵はがきを集めているのですが、その中には阿波踊りに関するものも
少なくありません。
ここでは、昭和7年に小山助学館(徳島市内の老舗書店)から発行された8枚組の絵はがき
「奇抜極マル徳島ノ盆踊」を紹介します。
「徳島の盆踊」という名称にも注意する必要があります。
この頃は「阿波踊り」という言い方はまだ一般的ではなく、「徳島の盆踊」が通称だったことがわかります。
県外に向けての観光戦略の中で「阿波踊り」という名称が喧伝され、定着しました。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(1)

よく見ると、踊り手は紅白のだんだら模様のパッチを履いています。
昭和3年の阿波踊りは、昭和天皇の御大典を奉祝し、11月10日から11日間にわたり盛大に行われました。徳島の町中が慶祝の紅白の幕で覆われましたが、その布きれを使ってパッチを作って踊ったのです。
これが当時の阿波踊りの「鉄板スタイル」だったのですね。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(2)

だんだらパッチの進化形ww
「奇抜極マル」と言われてもしかたないかと・・


奇抜極マル徳島ノ盆踊(3)

阿波踊りの鳴り物も、時代により変化してきました。
この写真では、女性が三味線を弾き、男性が尺八を吹いています。
今の阿波踊りから見れば、尺八は珍しいですね。
現在は鉦や太鼓といったリズムセクションが目を(耳を?)ひきますが、かつての阿波踊りは、三味線をベースに、少人数で街を「流す」のが主流でした。ビッグバンドというよりは、アコースティックなコンボ、といった感じです。
頭にかぶる笠も、現在とは少し異なっています。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(4)

前列には三味線を掲げた華やかな女性陣。
後列に鼓を構えた男性がいることに注目。これが当時のパーカッションだったんですね。
右手には、ねじりはちまきに団扇を持って踊る男性の姿も。
この人の着ているハッピの襟元に「連」の文字が見えます。
「○○連」という言い方が当時すでに存在していたことがわかります。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(5)

右二つ巴の紋の入った揃いの衣装。
揃いの衣装を着ることは、同じ集団に属するメンバーとしての意識を高める役割を果たします。
背後には、グループの紋と名前の入った旗が。
現在の阿波踊り連の原型を見る思いです。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(6)

着物姿で三味線を掲げる女性たち。
手前にポーズを決める女性がいますが、もしかしたらこの人も三味線弾きのメンバーの一人かもしれません。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(7)

三味線を抱え、揃いの衣装で街を流す女性たち。
街全体が浮き立つ様子が伝わってきます。


奇抜極マル徳島ノ盆踊(8)

場所は城山公園(徳島公園)でしょうか。
三味線と鼓をバックに、輪踊りをしている様子です。
現在でこそ、阿波踊りは隊列を組んで踊りながら前進する「直進型」が主流になっていますが、こうした一つの場所での輪踊りも、阿波踊りの古い形を伝えるものと言えるでしょう。